今日の聖句7月7日(日)\(^o^)/ すべてこの国の、主のさばきを行う柔和な者たちよ、主を尋ね求めよ。義を尋ね求めよ。柔和さを尋ね求めよ。 ゼパニヤ2:3 義に飢え渇く者は幸いです。その人たちは満ち足りるからです。 マタイ5:6 **************** 今週のテーマ:上の宮を預かるもの きょうの聖書:1コリント3:10-17 コリント人への手紙第一3章16説17節 あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。もし、だれかが神の宮を壊すなら、神がその人を滅ぼされます。神の宮は聖なるものだからです。あなたがたは、その宮です。 「神殿と礼拝」 キリストを土台にして建てられた群れ、キリストを信頼している個人、そのどちらも「神の神殿」としてパウロは理解しています。聖霊が内に住んでおられるからです。教会というクリスチャンの群れは「神の住まわれる神殿」であり、そこにつながるひとりひとりも神殿です。 「だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます」とパウロは書きましたが、自らの昔の行状を思い出しながら書いていたとすれば胸の内に哀しみを感じていただろうと思います。パウロは以前、教会を迫害する人たちの代表格だったからです。 ところで神殿の最重要課題は「神様への礼拝」です。神殿として機能するのは礼拝によってです。そこには赦しの宣言があり、献金があり、祈りがあり、賛美があり、み言葉の朗読がありました。私たちの生きる場で、それらのことを生きるとすれば、どういう形になるのでしょう。 ヨーロッパにおける聖堂建築の荘厳さ、何百年も掛けた建築物としての教会堂は、聖とされた人たちの集まる場所、神の臨在の場所としての意識の中から生まれたものだと思います。献堂式というのもありますが、私たちは自分を礼拝者として献身するものでありたいと思います。教会もクリスチャンも礼拝によって生きるものだからです。 祝福を祈ります。