今日の聖句7月6日(土)\(^o^)/ 祭司のたましいを髄で潤す。わたしの民は、わたしの恵みに満ち足りる。 エレミヤ31:14 病人を癒やし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊どもを追い出しなさい。あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい。 マタイ10:8 ***************** 今週のテーマ:教会の秩序 きょうの聖書:1テモテ5:17-25 テモテへの手紙第一5章17節〜20節 よく指導している長老は、二倍の尊敬を受けるにふさわしいとしなさい。みことばと教えのために労苦している長老は特にそうです。聖書に「脱穀をしている牛に口籠をはめてはならない」、また「働く者が報酬を受けるのは当然である」と言われているからです。長老に対する訴えは、二人か三人の証人がいなければ、受理してはいけません。罪を犯している者をすべての人の前で責めなさい。そうすれば、ほかの人たちも恐れを抱くでしょう。 「訴え」 教会は、忠実に教会奉仕をしている牧師に対して、感謝して支援を行うようにと言われています。しばしば、教会が教職に対して過大な期待を抱くため教職が非難の的になることがあります。日本の教会では、直接牧師を非難せずに牧師夫人に非難が向けられ、精神的ダメージを負わせてしまうことがあります。 それよりむしろ、牧師が心配せずに生活でき、家族の生活を賄えるだけの経済的支援を備えるほうが優先されなければなりません。パウロもそうですし、イエス様も「ルカ10:7」で、みことばの奉仕をする人に対しては援助すべきことを教え、奉仕者は援助を受けるとるべきことも教えています。 教職者に罪や落ち度がないことはないのですが、些細な問題で非難することはせず、教会運営で問題が発生した場合は二・三人以上の複数の人の意見として牧師への訴えを教会が受理するようにしなさいと教えられています。牧師と性格が合わないとか、意見が合わないなどの理由では訴えを出してはいけないということです。 もう一つ、教会内に国法違反を犯すもの、公序良俗に反する行いをする者がいたならば、すべての人の前で責めなさいと語られています。そうすることによって罪を犯す人がいなくなるのです。異性問題、金銭問題などがそれに当たります。教会は、罪を犯した人を悔い改めさせて信仰生活に復帰させなければならないのです。 祝福を祈ります。