今日の聖句7月1日(月)\(^o^)/ 神よ私を探り私の心を知ってください。私を調べ私の思い煩いを知ってください。 私のうちに傷のついた道があるかないかを見て私をとこしえの道に導いてください。 詩篇139:23-24 あなたがたのうちで、知恵があり、分別のある人はだれでしょうか。その人はその知恵にふさわしい柔和な行いを、立派な生き方によって示しなさい。 ヤコブ3:13 **************** 今週のテーマ:教会の秩序 きょうの聖書:1コリント14:1-12 コリント人への手紙第一14章1節〜4節 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。 「愛と預言」 愛です。神様の愛、神様からの愛こそ追い求めるべきことが語られています。霊的な賜物として、預言の賜物を熱心に求めるように勧めています。預言する賜物というのは、占い師のように将来を言い当てる能力ではなく、神様の言葉を自らが受け取り、それを吟味し、神様に託されてそれを分かち合うための賜物です。 預言とは、人と人との関わりの中で、神様の言葉を折にかなった形で伝達することです。それは人の前で自慢するためではなく、聞いた人が励まされ、慰められ、立てあげられることを目指す発言になります。礼拝での説教も本質的には、そういう面がなければなりません。 「今日のみことば」の配信も、神様からの御言葉を土台にして、お互いの立て上げと励まし、慰めのお役に立てれば、こんなうれしいことはありません。一方、異言は、その人と神様との間での出来事なので、人に見せびらかすべきものではありません。 異言は個人の領域の中で用いられることが必要です。礼拝やその他の集会の中で使われるとその場を混乱させます。賜物としてはむしろ、預言の賜物を求めるようにとパウロは勧めます。そして、それらの賜物の行使に当たって、土台となるべき素地は「愛」なのです。決して、自慢、優越感などであってはならないのです。 祝福を祈ります。