今日の聖句6月24日(月)\(^o^)/ 私たちは幸いを神から受けるのだから、わざわいも受けるべきではないか。 ヨブ2:10 「父よ、みこころなら、この杯をわたしから取り去ってください。しかし、わたしの願いではなく、みこころがなりますように。」 ルカ22:42 **************** 今週のテーマ:一致 きょうの聖書:使徒4:32-37 使徒の働き4章32節〜35節 信じた大勢の人々は心と思いを一つにして、だれ一人自分が所有しているものを自分のものと言わず、すべてを共有していた。使徒たちは、主イエスの復活を大きな力をもって証しし、大きな恵みが彼ら全員の上にあった。彼らの中には、一人も乏しい者がいなかった。地所や家を所有している者はみな、それを売り、その代金を持って来て、使徒たちの足もとに置いた。その金が、必要に応じてそれぞれに分け与えられたのであった。 「持ち寄りと共有」 エルサレムの初代教会では一切のものが共有にされていました。それは物心両面でのことでした。財産を持つ人は財産を、知識を持つ人は知識を、賜物を与えられた人は賜物を持ち寄って教会が立てあげられていったのです。その結果、エルサレム教会ではひとりも乏しい者がいなかったと記録されています。 それは、キリストの復活による救いがあったからであり、教会に聖霊の濃厚な臨在があったからです。救いの喜びと聖霊の活発な働きが信者たちに愛の交わりを促し、一致と調和を与えていたので、彼らの生活を生き生きとさせていたのです。聖霊が中心の教会ですから誰も所有権などで自己主張しなかったのです。 すべては造り主である神様のものだという信仰が優先されていたわけです。もう一つは、復活したキリストを証しするという点で一つにされていました。ペンテコステの日にお降りになった聖霊は、キリストが復活したことを明らかにし、信じた人々の心にキリストの復活を証しする使命を注ぎ込んででいたのです。 福音宣教のために一致と調和をもって協力し合っていたわけです。イエス・キリストを信じて、聖霊を受けた人は誰でも自分が受けた恵みを証ししたくなるものです。宣教したいという意欲が自然に持ち寄りと共有という形になって教会形成が進んで行きました。私たちが献金する動機もそこにあるのです。 祝福を祈ります。