今日の聖句6月20日(木)\(^o^)/ あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたがしらがになっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。 イザヤ46:4 神は真実であり、その方のお召しによって、あなたがたは神の御子、私たちの主イエス・キリストとの交わりに入れられました。 1コリント1:9 ********************* 今週のテーマ:愛し合う交わり きょうの聖書:1テサロニケ3:6-13 テサロニケ人への手紙3章6節7節 今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。 「互いに大事な存在」 パウロがどれほどテサロニケの地域に住むクリスチャンたちのことを心に留めているかわかる内容の文章です。テモテを派遣した理由、テモテからの報告、そしてパウロの喜びが手に取るようにわかります。6節の「親切」という言葉は新共同訳では「好意」となっています。お互いに大事な存在として認め合う姿は美しいものです。 このように、伝道者パウロが牧会者としての心を分かりやすく表明しています。その地域で不思議にも集められた主の民、ひとりひとりに対して持っている「主に留まっていてもらいたい」「いつかまた会って福音の喜びを分かち合いたい」という願いはまさに牧師としての心からの願いです。 テサロニケの人たちにとって「パウロは大事な人である」という確認はパウロの心を燃やしています。パウロにとって大事な存在であるテサロニケの人たちから、そういう反応があったことはパウロにとっては本当に大きな喜びだったと思います。 誰でも自分の存在を受け入れられ、互いに大事な存在として認め合うことができたら、共通の喜びが生まれます。それは今も昔も変わりません。私にとってはこのメールを読んで下さっている方々の存在の意義はとても大きいのです。読む人がいなければ書くことはできないからです。 祝福を祈ります。