今日の聖句5月31日(金)\(^o^)/ 年老いて白髪頭になったとしても神よ私を捨てないでください。私はなおも告げ知らせます。あなたの力を世に。あなたの大能のみわざを後に来るすべての者に。 詩篇71:18 ですから、私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。 2コリント4:16 **************** 今週のテーマ:復活のキリストに出会う きょうの聖書:使徒1:12-26 使徒の働き1章12節13節14節 使徒たちはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムに近く、安息日に歩くことが許される道のりのところにあった。彼らは町に入ると、泊まっている屋上の部屋に上がった。この人たちは、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。彼らはみな、女たちとイエスの母マリア、およびイエスの兄弟たちとともに、いつも心を一つにして祈っていた。 「祈って待つこと」 イエス様が天に戻られた後、弟子たちはエルサレムに留まり、そこで他の仲間たちと一緒に祈っていました。それは、ルカによる福音書の最後の箇所に書かれている「わたしは、父が約束されたものをあなたがたに送る。高い所からの力に覆われるまでは、都にとどまっていなさい」(ルカ24:49)という言葉に従っている弟子たちの様子そのものです。 弟子たちにとっては、イエス様の死から復活までの間と、イエス様の昇天と「高い所からの力」を受けるまでの間の「待ち時間」はとても長く感じたのではないかと思います。振り返ってみればあっという間の出来事として認識できるでしょうが、待っている間というのは何とも長く感じるものです。しかし、こういう場面での自分勝手な行動は命取りになってしまいます。 人間の成長に「待つことの大切さを知る」経験が必要であるように、弟子たちの霊的成熟のためにも、それは必要な経験でした。しかし、彼らには仲間たちがいましたから、一緒に待つことができました。祈りと賛美、そしてイエス様の約束を思い巡らしながら彼らは待ちました。 待っている間に様々な準備がなされます。待つことは難しいですが、私達の人生の中でとても大事なレッスンのひとつです。待っている間にしなければならないことが沢山あるのです。キリストの再臨を待つ間に教会にはキリストの花嫁となる準備があります。それは祈りによって自分の信仰の姿勢を整えることです。どんなときにも祈りの準備は不可欠です。 祝福を祈ります。