今日の聖句5月10日(金)\(^o^)/ その方が、あなたの前に御使いを遣わされるのだ。 御使いは女たちに言った。あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。 マタイ28:5 **************** 今週のテーマ:雄々しく生きる きょうの聖書:マタイ10:16-23 マタイの福音書10章19節20節 人々があなたがたを引き渡したとき、何をどう話そうかと心配しなくてもよいのです。話すことは、そのとき与えられるからです。話すのはあなたがたではなく、あなたがたのうちにあって話される、あなたがたの父の御霊です。 「心配無用」 ここではイエス様が弟子たちに、逮捕されて、尋問されるときどう答えようか、何を話そうかと心配することはないと教えています。また、パウロの弁明の記事も使徒の働きなどに詳しく掲載されています。パウロは自分が救われた証しをし、イエス様がキリストであることを弁証して尋問に答えています。 釈放されるためにはどう話そうか、投獄されないためには何を話そうかなどと心配するのは止しなさいということです。そのように心配することは当局側の追求に同意しているからです。つまり、自分は逮捕されるようなことをしていると考えているからです。批判し、福音宣教を妨げようとする人たちの言葉に弁解などはしなくていいのです。 それより大事なことは、一人でも多くの人にイエス様を紹介し、愛と赦しの福音を宣教し、人々に救いを届けていくことです。弟子たちは町町村々に派遣されていって、イエス様が中風の患者の罪を赦し、病を癒し、熱病を癒し、死んだ少女を蘇生させ、聞こえない人を癒したことなどの見たままを語り伝えたのです。 私たちも「証し」を持って福音宣教に出て行きます。癒された人は「イエス様が私を癒してくださいました」と証しし、救われた人は「イエス様が私を救ってくださいました」と自分の身に起こった救いの事実を証言してイエス様を紹介しましょう。私たちの心に宿る聖霊様が聞く人の心に語ってくださいます。 祝福を祈ります。