今日の聖句4月28日(日)\(^o^)/ わたしは殺し、また生かす。わたしは傷つけ、また癒やす。わたしの手からは、だれも救い出せない。 申命記32:39 イエスは彼らをじっと見つめて言われた。「それは人にはできないことですが、神にはどんなことでもできます。」 マタイ19:26 ***************** 今週のテーマ:信仰の成長 きょうの聖書:1ペテロ2:1-5 ペテロの手紙第一2章1節〜4節 あなたがたは、すべての悪意、すべての偽り、偽善やねたみ、すべての悪口を捨てて、生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、霊の乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。あなたがたは、主がいつくしみ深い方であることを、確かに味わいました。主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石です。 「主のもとに来なさい」 私たちはイエス・キリストの十字架と復活によって神様の救いをいただきました。この事実を起点としてキリストを信仰するものとしての成長が期待されています。その手始めになすべきことの第一が人間関係を壊す恐れのあるもの、相手に対する諸悪です。「悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口」などはいつの間にか、私たちの心に育ち、言葉や態度に現れます。 最初は小さな悪のように見えるわけですが放置され、隠されながらどんどん拡大していきます。これらの悪は小さいうちに処理されるべきですが、なかなかそれが難しいのです。自分の中で言い訳を考え、正当化しようとする力が働くからです。人間関係を良好な方向に向けていくことが今後の信仰生活のために不可欠なのです。 次が、霊の乳と呼ばれる聖書のみ言葉を慕い求めることで、悪から離れる生活を望むようになり、心の変化を味わえるようになるのだとペテロは教えています。聖書は私たちに判断力をもたらし、基準となるべき発想を育て、決断を促してくれます。「神様、私の心を調べ、清めてください」と祈ることは大切なことです。み言葉は、私たちの成長に必須です。 三つめが、いつくしみ深い主イエス様の近くに生きることです。そこに私たちひとりひとりにとっての安心があります。イエス様は私たちのために父なる神様との間の希望の架け橋になってくださいました。このイエス様は人々からは見捨てられ十字架に掛けられることになったわけですが、実は、そのことを神様は、私たちへの祝福と赦しの契約の土台としてくださいました。キリストから目を離さずに生きていれば私たちは必ず成長できます。 祝福を祈ります。