今日の聖句4月19日(金)[受難日] 神が私の苦しみの地で私を実り多い者とされた 創世記41:52 「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」 ルカ23:42-43 ***************** 今週のテーマ:主の苦難をしのぶ きょうの聖書:マタイ27:45-56 マタイの福音書27章45節46節 十二時から、全地が暗くなって、三時まで続いた。三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。 「捨てられた」 イエス様が十字架に付けられたのは午前9時でした。そして午後3時になったときのイエス様の叫びがここに記録されています。神様に見捨てられたということはイエス様の「死」に際して父なる神様がイエス様の父 また味方という立場から、イエス様の敵の立場に移られたということです。神様がイエ ス様の慈父ではなく、罪びとを裁く厳しい審判者になられたということです。 イエス様が「死」によって罪びとの罪を償ってくださるということは、罪びとたちが立たされる神の裁きの座に、私たち罪びとに代わって立ってくださるということです。神の一人子であるイエス様が愛と信頼に満ちた父子関係から離れて、義なる審判者と、罰せられる罪びとという関係になっているのです。それが見捨てられたという言葉で表されたのです。 このイエス・キリストの死こそ旧約聖書にある犠牲の儀式による贖罪の成就であり、私たち罪びとはイエス・キリストによる贖いにより、創造主である神様を父なる神様と呼んで近づくことができるわけです。和解の成就であり、良好な関係の回復、親愛な交わりの誕生とも言えるのでしょう。 イエス様はご自分が父なる神様から捨てられて、犠牲儀式を廃止し、ユダヤ人と異邦人の隔ての中垣を取り除き、この世とあの世との間に立ちはだかっていた死の門も排除されました。ですから私たちもイエス様を見てこのお方こそ全人類の救い主だと褒め称えているのです。神様の御ひとり子の大きな犠牲です。 祝福を祈ります。