今日の聖句4月17日(水)\(^o^)/ イスラエルの神は仰せられた。イスラエルの岩は私に語られた。『義をもって人を治める者、神を恐れて治める者は、太陽の上る朝の光、雲一つない朝の光のようだ。雨の後に、地の若草を照らすようだ。』 2サムエル23:3-4 あなたがたは、世界の光です。山の上にある町は隠れる事ができません。 マタイ5:14 ***************** 今週のテーマ:主の苦難をしのぶ きょうの聖書:マタイ26:6-13 マタイの福音書12節13節 この女が、この香油をわたしのからだに注いだのは、わたしの埋葬の用意をしてくれたのです。まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。 「マリヤの油注ぎ」 これは最後の晩餐の前日である受難週の水曜日の出来事です。イエス様に香油を注いだ女性はマグダラのマリヤです。場所はオリーブ山の東山麓、ベタニヤ村のシモンというツアラトを患っている人の家でした。この直後にイスカリオテ・ユダがイエス様を裏切るために祭司長たちと相談するためにここから出かけています。 イエス様はユダヤ教指導部からも一般大衆からも「救い主・メシヤ」としては認められていませんでした。善い見方をする人でも「イエス様は予言者」、悪い見方をする人たちからは「神を冒涜するもの」と思われていたのです。しかし、イエス様は永く旧約聖書で予告されていた救い主なのです。 旧約聖書では、神様から特別な任命を受ける人には「油注ぎ」という儀式が行われていました。イエス様は十字架によって世界を罪から解放するという大役を授かったお方です。マリヤがイエス様に油を注いだということは、マリヤがイエス様を油を注がれた救い主・キリストとして世界に紹介するということになるのです。 ですからイエス様は「世界中のどこででも、この福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう」と言われたのです。マリヤが行ったイエス様への油注ぎは、イエス様の贖いの用意であり、キリストの福音を側面から支援する大事な出来事なのです。私たちにも、イエス様が救い主ですと証言する義務があります。 祝福を祈ります。