今日の聖句4月16日(火)\(^o^)/ 神よ。あなたは私の愚かしさをご存じです。私の数々の罪過は、あなたに隠されてはいません。 詩篇69:5 私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。 マタイ 6:13 **************** 今週のテーマ:主の苦難をしのぶ きょうの聖書:マタイ22:15-22 マタイの福音書22章19節20節21節 「納め金にするお金をわたしに見せなさい。」そこで彼らは、デナリを一枚イエスのもとに持って来た。そこで彼らに言われた。「これは、だれの肖像ですか。だれの銘ですか。」彼らは、「カイザルのです」と言った。そこで、イエスは言われた。「それなら、カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい。」 「神のものは神に」 今日は受難週の火曜日でイエス様は神殿で学者と論争し、多くの譬えの話や、世の終わりについて語られました。学者たちはイエス様を罠に掛け、告発する目的で「税金をカイザルに納めることは、律法にかなっていることでしょうか。かなっていないことでしょうか」と質問しました。納税しなさい、と答えればパリサイ人から神と律法に背く裏切り者と呼ばれ、納税するな、と答えれば皇帝に対する謀反人として告発しようということです。どっちにも答えられない場面です。 その罠を見越したイエス様の回答が「カイザルのものはカイザルに返しなさい。そして神のものは神に返しなさい」でした。貨幣というものはそもそも、国家、或いは統治者が発行するもので発行者に所有権があります。ですから、カイザルの肖像と銘ががあるものはカイザルに返して当然ということです。 一方、神のかたちに造られた私たち人間は神の所有物ですから当然自分自身を神様に返さなければなければなりません。神様は万物の支配者であり、所有者ですから礼拝や献金も捧げるというよりは、むしろお返しする気持ちをもってしなければならないものと思います。 イエス様はこの罠的な質問を利用して、クリスチャンが国家や権力者など社会制度と神様を礼拝する信仰生活の間に生ずる様々な問題を想定して、国に対しては国に対するように、神様に対しては神様に対するように、それぞれ自然な当たり前のかたちで対応することを教えていて下さいます。 祝福を祈ります。