今日の聖句4月9日(火)\(^o^)/ わたしは、わたしの家のために、行き来する者を見張る衛所に立つ。それでもう、しいたげる者はそこを通らない。 ゼカリヤ9:8 わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。 マタイ16:18 **************** 今週のテーマ:キリストの生と死にあずかる きょうの聖書:ガラテヤ6:11-18 ガラテヤ人への手紙6章14節15節 私には、私たちの主イエス・キリストの十字架以外に誇りとするものが決してあってはなりません。この十字架によって、世界は私に対して十字架につけられ、私も世界に対して十字架につけられたのです。 割礼を受けているか受けていないかは、大事なことではありません。大事なのは新しい創造です。 「新しい創造」 割礼を強要している人たちは、信仰的な理由によるというよりも、人を恐れ、迫害されたくないだけのことで無理やり割礼を受けさせようとしているのだとパウロは指摘しています。しかし、その行為が救い主の恵みを台無しにしてしまうものだとパウロは判断しています。 パウロはこの手紙の終わりに「わたしたちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。この十字架によって、世はわたしに対し、わたしは世に対してはりつけにされているのです。割礼の有無は問題ではなく、大切なのは、新しく創造されることです」と宣言しています。 これは、十字架によって贖われたという事は、人を恐れる生き方ではなく、キリストの赦しといのちに覆われて、何も怖がることなく生きられるようにされたのだというパウロの教えです。救いの確信がなければ割礼もその他の行いも無意味なことです。 17節に「イエスの焼印」という言葉が出てきていますが、これはキリストに所属させられた、キリストに所有されている存在だという意味です。自分はキリストにとらえられ、所属させられているのだから、そのお方のなさったことだけを信頼すれば十分なのだというわけです。これは割礼を大きくしのぐ確かな証しです。 祝福を祈ります。