今日の聖句4月8日(月)\(^o^)/ 私のたましいは、夜回りが夜明けを待つのにまさり、まことに、夜回りが夜明けを待つのにまさって、主を待ちます。 詩篇130:6 愛する人々よ。あなたがたは、自分の持っている最も聖い信仰の上に自分自身を築き上げ、聖霊によって祈り、神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに至らせる、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい。 ユダ1:20-21 今週のテーマ:キリストの死と生にあずかる きょうの聖書:2コリント4:7-15 コリント人への手紙第二4章7節8節9節 私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。 「恵みの賜物」 「こ私たちは、の宝を、土の器の中に入れているのです」とパウロは言いますが「弱く無価値な存在である」私たちが「神の力である福音を与えられている」という風に考えることができます。この福音は私たちをキリストの死と復活に結び合わせ、苦難に遭うときにはキリストの死を自覚させ、その先にキリストの復活を期待させるものなのだとパウロは言います。 苦難は現実なのですが、その先のイエス様のいのちによる勝利もまた現実だとパウロは確信しているのです。パウロの証は壮絶です。苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒されるという日々が使徒パウロと仲間たちの日々でした。苦しみや逆境を被ることは辛いですが、それは、悪でも罪でもありません。 福音の力で行き詰らず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされないという確信を持っているのです。イエス様の死と命をそのように理解し、そのように結びつけているのです。パウロの信仰は「キリストの死といのちが、わたしの肉体といのちを覆い尽くしている」というものなのです。 それは私たちにとっても同じです。私たちもパウロと同じように福音によって圧倒的な神様の力を私たちの体内に持たせられていねのです。それが私たちから出たことではなく、神様の愛と恵によって与えられたものであるので、私たちがどのようなものであったとしても変わることがないのです。恵みの賜物です。 祝福を祈ります。