今日の聖句4月1日(月)\(^o^)/ 主よ。あなたは貧しい者の願いを聞いてくださいました。あなたは彼らの心を強くしてくださいます。 詩篇10:17 望みの神が、あなたがたを信仰によるすべての喜びと平和をもって満たし、聖霊の力によって望みにあふれさせてくださいますように。 ローマ15:13 **************** 今週のテーマ:十字架を背負う きょうの聖書:へブル13:7-15 へブル人への手紙13章11節12節13節 動物の血は、罪のための供え物として、大祭司によって聖所の中まで持って行かれますが、からだは宿営の外で焼かれるからです。ですから、イエスも、ご自分の血によって民を聖なるものとするために、門の外で苦しみを受けられました。 ですから、私たちは、キリストのはずかしめを身に負って、宿営の外に出て、みもとに行こうではありませんか。 「キリストに倣って」 モーセが教えた動物犠牲の礼拝は、御子の十字架を暗示し、予表するものでした。実際には動物犠牲によって罪が赦され、心がきよめられることはないのです。神様はキリストの犠牲によって行われた贖いをイスラエルが受け入れることができるように「犠牲」というものを教えていたのです。 ですから、イエス様はエルサレム郊外のゴルゴダの丘で罪びとのために身代わりの死を遂げてくださったのです。キリストの死は、神様が計画されていたことで、これによってすべての人の罪が赦され、すべての罪びとの心がきよめられるためでした。私たちはその恩恵にあずかったのです。 神様の救いのご計画成就のためにイエス様はためらわずに十字架の死を遂げてくださいました。救われてキリストに従うものとされた私たちは、当然、キリストのように、悪い欲望の世界から離脱して神様の愛の世界に入り、キリストのように神様の救いのご計画の成就のために私たちの持ちものの中の最上のものを捧げて生きていくのです。 最上の持ちものは、神様への感謝と賛美の礼拝です。個人礼拝と言わず、家庭礼拝でも、主日礼拝でも私たちは賛美という捧げものを捧げて生きています。キリストを信じて喜んで生きることです。喜んで生きている私たちの証のことばが、世界にキリストを紹介することになるのです。くすぶっていてはなりません。 祝福を祈ります。