今日の聖句3月31日(日)\(^o^)/ 金銭を愛する者は金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。 伝道5:10 朽ちることのない宝を天に積み上げなさい。そこには、盗人も近寄らず、しみもいためることがありません。あなたがたの宝のあるところに、あなたがたの心もあるからです。 ルカ12:33-34 ****************** 今週のテーマ:十字架を背負う きょうの聖書:マルコ8:34-38 マルコの福音書8章34節35節36節 イエスは群衆を弟子たちといっしょに呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしとのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」 「自分の十字架」 イエス様は十字架と復活による世界の救いに標準を定めて活動していました。ところが、ペテロはイエス様に不吉なことは言わないでくださいという意味のことを言ったので、イエス様から「下がれ、サタン」としかられてしまいました。それで改めてイエス様は十字架の重要性を説明したのです。 私たちが十字架を背負って生きるということの意味は、神様の御心を成し遂げるために苦しみと犠牲を被ることです。それは、神様に対しては自分を捨てることであり、キリストに対しては服従していくこと、そして、世に対しては自分の責任を果たすことであると言えます。 キリストと福音とのために「いのちを失う者はそれを救う」というあべこべの発想は、信仰生活をしていく上での大原則です。キリストと福音を軽視して自分の欲望を優先させる生き方はキリストの弟子の生き方ではありません。私たちには、キリストに自分のいのちを捧げていこうという決断が必要なのです。 私たちには一人一人それぞれの十字架が与えられていますが、共通点は、キリストと福音を証しして生きていくことです。チャンスが来ているときに恥ずかしく思って福音を隠したり、証しをしないようなことがあってはならないのです。キリストと共に自分の十字架を背負う信仰で前進しましょう。全世界を得ても、いのちを損じたら何の得がありましょう。 祝福を祈ります。