今日の聖句3月22日(金)\(^o^)/ あなたのみわざをあなたのしもべらに、あなたの威光を彼らの子らに見せてください。 詩篇90:16 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。 マタイ6:26 ***************** 今週のテーマ:時の流れをこえて きょうの聖書:イザヤ46:1-4 イザヤ書46章3節4節 わたしに聞け、ヤコブの家と、イスラエルの家のすべての残りの者よ。胎内にいる時から担われており、生まれる前から運ばれた者よ。あなたがたが年をとっても、わたしは同じようにする。あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う。わたしはそうしてきたのだ。なお、わたしは運ぼう。わたしは背負って、救い出そう。 「背負って」 神様がアブラハムという一人の人物を選び、その孫であるヤコブの子どもたちによってイスラエル民族が構成されました。この選びに対して、アブラハムもイスラエル民族も何の働きもしていません。イスラエルは自分が知らないうちに選ばれてしまったのです。 神様はご自分が選んだアブラハムとイスラエルに対して一方的に恵みと祝福を注ぎ続けました。しかし、イスラエルは偶像に目がくらみ、神様への信仰と礼拝を捧げることができなくなってしまいました。そういうイスラエルに対して「あなたがたが白髪になっても、わたしは背負う」と約束したのです。 聖書の中には神様がイスラエルを背負うという表現がたびたび出てきます。「足跡」(フット・プリント)というタイトルの詩をご存知の方が多いと思いますが、これは、信仰の道を自分の足で歩けなくなってしまった人をキリストが背負って歩いたという内容の詩です。 エジプトで奴隷にされて信仰も礼拝もできなくなってしまったイスラエルはその苦境を神様に背負われて通過しました。バビロンで捕囚とされたときも神様はイスラエルを背負い続けました。今の時代はキリストが私たちを背負い続けていてくださるのです。今現在も、私はイエス様の背中にらおんぶされているのです。イエス様の背中は温かいです。 祝福を祈ります。