今日の聖句3月20日(水)\(^o^)/ 彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行い、聞き従います。」 出エジプト24:7 天におられるわたしの父のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、姉妹、また母なのです。」 マタイ12:50 **************** 今週のテーマ:時の流れをこえて きょうの聖書:イザヤ8:16-22 イザヤ書8章16節17節18節 「このあかしをたばねよ。このおしえをわたしの弟子たちの心のうちに封ぜよ。」 私は主を待つ。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に、望みをかける。見よ。私と、主が私に下さった子たちとは、シオンの山に住む万軍の主からのイスラエルでのしるしとなり、不思議となっている。 「待つ信仰」 イザヤという名前は「主は救う」という意味です。イザヤはユダ国が衰退しつつあり、このままでは最後には滅びるという状況の中で、神様がイスラエルを救うという信仰に堅く立っていました。たとえ滅びてしまっても必ず再興されるという信仰です。 イザヤは自分の弟子たちに自分が語った言葉をまとめて後世に伝えなさいと言い残したのです。今私たちがイザヤ書を読めるのはイザヤの言葉を保存し、世代から世代へと受け継いだ人たちがいたからです。私たちもみことばを子どもたちに伝え、孫たちへと伝えて聖書を学んで生きるようにする責任があります。 イザヤは国全体に暗雲が立ち込めている中で神様の救いを信じて待ち望んでいます。私たち凡人には待つということはとても辛いことです。病気が治るのを待ったり、教会から離れてしまった子どもが神様に立ち帰ってくることを待つなど苦しい状況が正されていくことを待つことです。 ユダ国が滅びてからエルサレムが回復されるまでには70年以上の年月か過ぎました。救い主が登場するまでには700年以上の年月が経過しました。神様の救いの約束は必ず実現するのです。私たちは自分の都合でではなく、神様が定めているときに与えられる救いを待つのです。 祝福を祈ります。