今日の聖句3月7日(木)\(^o^)/ わたしは主、これがわたしの名。わたしの栄光を他の者に、わたしの栄誉を刻んだ像どもに与えはしない。 イザヤ42:8 私たちには、父なる唯一の神がおられるだけで、すべてのものはこの神から出ており、私たちもこの神のために存在しているのです。また、唯一の主なるイエス・キリストがおられるだけで、すべてのものはこの主によって存在し、私たちもこの主によって存在するのです。 1コリント8:6 **************** 今週のテーマ:施す きょうの聖書:2コリント9:6-15 コリント人への手紙第二9章6節7節8節 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。神は、あなたがたを、常にすべてのことに満ち足りて、すべての良いわざにあふれる者とするために、あらゆる恵みをあふれるばかり与えることのできる方です。 「喜んで与える人」 パウロの献金についての考え方が語られています。それは「ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい」というものです。これは、どんな状況の献金だとしでも大切な指針です。献金とは決して強制されて捧げるものではないからです。 無理強いされたり、出し惜しみしたくなるような心があるなら、むしろ、献金すべきではないのだろうと思います。自分のために使うべきです。使徒の働き5章にアナニヤとサッピラの前例があります。アナニヤは土地を売却したお金の半額を捧げたときに、これで全額ですと言って嘘をついたことで大きなとがめを受けました。 「神は喜んで与える人を愛してくださいます」という言葉を忘れてはいけないのだと思います。その献金についての人からの見返りを求めるべきではないし、献金で神様に恵みを買ったり、強要することはできません。献金は神様の恵みによって捧げさせていただいているものなのです。 献金という行為自体を大事な「神への礼拝」「神への感謝」と理解することもできるかもしれません。献金は私たちの信仰を具体的に表すことであり、愛をもって他の人を喜んで支援することです。そういう心を大切にしたいと思います。献金は神様の愛に対する私たちの信仰による応答です。 祝福を祈ります。