今日の聖句3月6日(水)\(^o^)/【灰の水曜日】 御顔をあなたのしもべの上に照り輝かせてください。あなたの恵みによって私をお救いください。 詩篇31:16 わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。 ルカ1:46-48 ***************** 今週のテーマ:施す きょうの聖書:2コリント8:1-15 コリント人への手紙第二8章1節〜4節 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニヤの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。苦しみゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出て、その惜しみなく施す富となったのです。私はあかしします。彼らは自ら進んで、力に応じ、いや力以上にささげ、聖徒たちをささえる交わりの恵みにあずかりたいと、熱心に私たちに願ったのです。 「イスラエル献金」 マケドニアの教会とは、ギリシヤ北部のピリピ、テサロニケ等の地域にある教会ですが、彼らは、迫害や貧困の状況の中にあったにもかかわらず、エルサレムへの献金に関して、それを「神の恵み」「喜び」として積極的に関わっていることがわかります。それは、彼らの力以上のもので、しかも、自発的に、支援的な心でなされたものでした。 そこには、神様への感謝と仲間に対する愛が重なって、積極的な助力という形になりました。献金は祈りであり、信仰であり、愛でもあります。御父と御子と御霊の三位一体の神様への感謝の表明です。イエス・キリストの十字架の死と復活により救いを得た私達は献金によって具体的に応答しています。 人に見せびらかすためではなく、人からの評価を求めるためでもなく、本当に自発的なしかも純粋な奉仕としての「捧げもの」をさせてもらえることを喜びたいものです。パウロはコリントの人たちの信仰、ことば、知識、熱心などについて実に豊かなものだと語り、だからこそ、慈善のわざ、つまりエルサレムにある教会の人たちへの支援献金について積極的に参加すべきことを勧めています。 エルサレムの教会の存在があってこそ、福音が広がっていったということがあるので彼らにすれば、その仲間たちを支援することはまさに主の働きを支援することと理解することができたのかもしれません。私たち基督聖協団もイスラエル献金に励むことができていることも神様の恵みとして感謝いたします。(今日は灰の水曜日、今日からレントに入ります。イースターまで46日です。) 祝福を祈ります。