今日の聖句3月4日(月)\(^o^)/ だれが、われらの神、主のようであろうか。主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げる。 詩篇113:5-7 キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。 ピリピ2:6-7 ******************** 今週のテーマ:施す きょうの聖書:申命記15:7-11 申命記15章7節8節 あなたの神、主があなたに与えようとしておられる地で、あなたのどの町囲みのうちででも、あなたの兄弟のひとりが、もし貧しかったなら、その貧しい兄弟に対して、あなたの心を閉じてはならない。また手を閉じてはならない。進んであなたの手を彼に開き、その必要としているものを十分に貸し与えなければならない。 「助けあうこと」 友人から金品の貸与を求められたときには進んで貸与しなさいと教えられています。神様は太っ腹な御方なのでわたしたちが生きるために必要なものはすべて与えてくださいます。ですから、自分の持ち物を貸してしまうと、将来自分が困ることになるという心配はいらないのです。 出エジプトしたイスラエルに約束の国カナンに到着したならば、お互いに助け合って生きて行きなさいと神様は命じられました。それは、新しい土地を開墾して国をつくっていく上でどうしても必要なことでした。貧しくなった人がいるとすれば、その貧しさの責任は貧しい人自身にあると言ってはならないということです。 今現在の日本の国にも「貧困」という大きな社会問題があります。どういう人を貧困者というかという問いに、生活保護世帯はもちろんのこと、学齢期にある子どもに市役所などから補助を受けたり、学費の免除を受けている人が貧困者であるという説明を受けたことがあります。普通に社会生活をしている人の中に多くの貧困者が居るということです。 基督聖協団では教師福祉会の基金制度を立ち上げて高齢牧師への年金支給と、教育費援助、医療補助等を行っています。今資金は減少気味ですがこの制度が途中で取りやめになるようなことがあってはならないと考えています。神様は助け合う人を助けてくださるので、この制度は神様の祝福の中でさらに整えられてゆくものだと確信しています。 祝福を祈ります。