今日の聖句2月25日(月)\(^o^)/ その日、その時、─主の御告げ─イスラエルの咎は見つけようとしても、それはなく、ユダの罪も見つけることはできない。わたしが残す者の罪を、わたしが赦すからだ。 エレミヤ50:20 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。 ローマ5:11 ******************** 今週のテーマ:貧しい者と富める者 きょうの聖書:アモス5:6-15 アモス書5章6節7節8節 主を求めて生きよ。さもないと、主は火のように、ヨセフの家に激しく下り、これを焼き尽くし、ベテルのためにこれを消す者がいなくなる。彼らは公義を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てている。すばる座やオリオン座を造り、暗黒を朝に変え、昼を暗い夜にし、海の水を呼んで、それを地の面に注ぐ方、その名は主。 「主を求めて生きよ」 アモスは北イスラエルでBC.780年からBC.740年頃まで、ホセヤやヨナなどと同時期に活動した予言者です。その時期は北イスラエルがアッシリヤに滅ぼされる20年ほど前のことです。この預言書はBC.750年頃書かれたと考えられています。 アモスのメッセージの中心点は「公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように流れさせよ」という5章24節に表されており、自己満足や偶像礼拝などにより貧しい者を圧迫する北イスラエルの指導者達に神様による裁きを宣告することでした。 アモスは、北イスラエルの指導者達は公義を苦よもぎに変え、正義を地に投げ捨てていると指摘して悔い改めを迫りました。人を愛す公義と、社会を整える正義を捨ててしまっては国そのものが滅亡することは明らかです。偶像を礼拝して自己満足に陥ることは自滅の道に進むことです。 そういう北イスラエルに対してアモスは、「主を求めて生きよ」と厳命しました。それは、現代のクリスチャンに向けても語られている神様のメッセージです。天と地の造り主である神様によって生かして頂く以外に人間の生きる道はないのです。私たちも真剣に主を求めて天の御国に進んで行きたいと思います。 祝福を祈ります。