今日の聖句2月15日(木)\(^o^)/ あなたがたに新しい心を与え、あなたがたのうちに新しい霊を授ける。 エゼキエル36:26 罪から解放されて、義の奴隷となったのです。 ローマ6:18 **************** 今週のテーマ:試みのとき きょうの聖書:マルコ14:27-32 マルコの福音書14章27節28節29節 イエスは、弟子たちに言われた。「あなたがたはみな、つまずきます。『わたしが羊飼いを打つ。すると、羊は散り散りになる』と書いてありますから。しかしわたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます。」すると、ペテロがイエスに言った。「たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません。」 「イエス様の配慮」 過ぎ越しの祭りの夜最後の晩餐の後、イエス様はオリーブ山で「剣よ。目をさましてわたしの牧者を攻め、わたしの仲間の者を攻めよ。―万軍の主の御告げ。―牧者を打ち殺せ。そうすれば、羊は散って行き、わたしは、この手を子どもたちに向ける。」とイエス様はこの(ゼカリヤ13:7)を引用して、弟子たちがつまずくことと、再起させる約束を与えました。 これは「キリストが殺されると弟子たちは散り散りになる」という警告です。そして「わたしは、この手を子どもたちに向ける」とは「恵みと憐れみを回復して弟子たちを救い、再起させる」という救いの約束です。神がメシヤを撃って羊を散らされるのは、群れを滅ぼすのが目的ではなく、試練を通して真の神の民を鍛えるためなのです。 「わたしは、この手を子どもたちに向ける」という救いの約束の部分をイエス様は「わたしは、よみがえってから、あなたがたより先に、ガリラヤへ行きます」と言い換えています。それは羊飼いが羊の先頭に立って導くような優しい姿です。ガリラヤでクリスチャンの群れを再結成するという約束です。 ペテロは「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません」と大口を叩いたあげくキリストを否定してしまうのです。その訳は、この警告を聞き流したことと再起させてくださる恵みを侮ったことです。受難直前にイエス様はこれほど弟子たちに配慮してくださっていたのですね。 祝福を祈ります。