今日の聖句2月9日(土)\(^o^)/ あなたは、御救いの盾を私に下さいました。あなたの右の手は私をささえ、あなたの謙遜は私を大きくされます。 詩篇18:35 終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。 エペソ6:10 **************** 今週のテーマ:信仰の歓喜 きょうの聖書:ピリピ2:12-18 ピリピ人への手紙2章16節17節18節 いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。たとい私が、あなたがたの信仰の供え物と礼拝とともに、注ぎの供え物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。あなたがたも同じように喜んでください。私といっしょに喜んでください。 「一緒に喜ぶ」 12節〜18節にパウロはピリピの人たちへの励ましの言葉を書いています。そして、日々の生活の中で心を主に向け、礼拝の心を持ちながら生きるべきこと、不平や不満を言わずに自分の果たすべきことを丁寧に実行すべきことを勧めています。どんな場合にも努力は無駄になりません。 また、パウロは自分自身のいのちが処刑され、死を迎えるとしても、生き残っている信仰者と一緒の心でその場を迎えるので、自分の死を喜んで受け入れることを告白しています。パウロにとっては、いのちも死も主から託された役割を果たす為のものなので、どちらにせよ、彼は喜んでいるのです。 パウロは自分の喜びをピリピの人たちと分かち合おうとしています。長寿を全うして死を迎えることができるなら、それは主がその時まで生かして下さったわけですから、主を賛美し感謝を捧げることは良いことです。しかし、途中で迫害にあい、殉教することになったり場合、そこまでの人生を神様がパウロに宣教という使命を託し、それを果たせたわけですから、人生を喜べることになります。 もちろん、人間的には、さびしいし、悲しいし、つらいので、若くして殉教などしてほしくありませんが、パウロは、私はここまでの主に託された人生を走りぬいてきたので、仮に死が近くにあるとしても、なすべきことをやったので、喜んでいます。だから一緒に喜んでくださいと頼んでいるのです。 祝福を祈ります。