今日の聖句2月5日(火)\(^o^)/ 主はしいたげられた者のとりで、苦しみのときのとりで。 詩篇9:9 神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。 ルカ18:7 **************** 今週のテーマ:信仰の歓喜 きょうの聖書:ヨハネ15:1-11 ヨハネの福音書15章7節8節 あなたがたがわたしにとどまり、わたしのことばがあなたがたにとどまるなら、何でもあなたがたのほしいものを求めなさい。そうすれば、あなたがたのためにそれがかなえられます。あなたがたが多くの実を結び、わたしの弟子となることによって、わたしの父は栄光をお受けになるのです。 「キリストにとどまれ」 ヨハネ15章は有名なブドウの木の譬えです。そもそも、幹から枝が生え出てくるのであって、幹にとどまっていない枝は、既に折られてしまっているか、剪定ばさみで切られてしまっているはずです。それなのに、イエス様は「枝ならば枝の方から幹にくっついてこい」と招いておられるようです。つまり、これは接ぎ木です。甘い柿の実は全て接ぎ木によって実るものです。 私たちはイエス・キリストの十字架の死と復活によって神の子として新生したのですが、言い方によってはイエス・キリストに接ぎ木されたものだと言えます。イエス様は私たちに祈りによっていのちの関係を養うように導いて下さっています。祈りによってイエス様に連なり、祈りによってイエス様にとどまることができるのです。祈りによってイエス様の愛を知ることが出来ます。 もしかすると、自分が無駄な枝で、切り取られてしまうのかと不安になる人もいるかも知れませんが、どんな物でも、どんな人でもイエス様に連なった人で無駄な人生を送った人は居ませんし、無駄と思われるような物でも福音宣教のために使われると不思議に人々の救いの為に役立つものです。燃やす以外には何にもならない小枝でも、キャンプファイヤーのたき付けにはなります。 イエス様にとどまっていること、イエス様につながっていること、福音宣教と弟子訓練の為にイエス様に祈っていること、祈りによってイエス様とじっくり交わり、いのちの関係と絆を養っていくならば、私たちはイエス様の弟子として豊かな伝道の実を獲得できるのです。実を実らせるところににイエス様の喜びがあるからです。 祝福を祈ります。