今日の聖句1月31日(木)\(^o^)/ 愚か者は自分の怒りをすぐ現す。利口な者ははずかしめを受けても黙っている。 箴言12:16 舌も小さな器官ですが、大きなことを言って誇るのです。ご覧なさい。あのように小さい火があのような大きい森を燃やします。 ヤコブ3:5 今週のテーマ:召命に答える きょうの聖書:1テモテ1:12-17 テモテへの手紙第一1章15節16節 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。しかし、そのような私があわれみを受けたのは、イエス・キリストが、今後彼を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと、まず私に対してこの上ない寛容を示してくださったからです。 「典型的な見本」 パウロは自分の弟子であるテモテに「私は以前は、神をけがす者、迫害する者、暴力をふるう者でした。それでも、信じていないときに知らないでしたことなので、あわれみを受けたのです」と言い、「私はその罪人のかしらです」と繰り返しています。 パウロは自分が救われたのは、「イエス・キリストが、今後彼(キリスト)を信じて永遠のいのちを得ようとしている人々の見本にしようと」したのだと語っています。それは「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」というみことばが真実であるということを証明するためでもありました。 多くの人々は、私は罪深い人間であるから救われない、と考えます。人々にその考えを改めさせ、キリストは罪びとを救うという信仰を伝えるためにパウロもテモテもそして私たちも立証人として神様から召されているのです。この社会にキリスト教会が存在する理由もそこにあるのです。 パウロが言った「罪びとのかしら」とは、罪びとのナンバーワン(1)第1号犯罪者ということです。パウロが自分の罪を深く自覚していたということです。その謙遜な自己認識に対して、神様は罪びとが救われる典型的な見本という恵みを与えられたのです。私もパウロに倣うものとして生きて行きたいと思います。 祝福を祈ります。