今日の聖句1月26日(土)\(^o^)/ この町は、ハナヌエルのやぐらから隅の門まで、主のために建て直される。 エレミヤ31:38 こうして、人々は諸国の民の栄光と誉れとを、そこに携えて来る。 黙示録21:26 **************** 今週のテーマ:神の約束 きょうの聖書:へブル9:11-15 へブル人への手紙9章13節14節15節 やぎと雄牛の血、また雌牛の灰を汚れた人々に注ぎかけると、それが聖めの働きをして肉体をきよいものにするとすれば、まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう。こういうわけで、キリストは新しい契約の仲介者です。 「きよめの約束」 古代のユダヤでは神様の戒めに違反した罪の赦しを求め、罪のために受けた汚れのきよめを求めて動物を犠牲にして神様に捧げるという礼拝が行われていました。人間が犯した罪を動物に背負わせたわけですが、これには、罪とは生命を犠牲にする大問題であることを庶民に実感させる効果があったと思われます。 しかし現実には動物を殺したことによって罪の赦しと魂のきよめが与えられることはありませんでした。そこで神様はモーセが教えた動物犠牲によるきよめのしきたりに代えて、御子イエス・キリストを犠牲にして違反者の罪を赦し、違反者の心をきよめるという特別な手段を採用されたのです。 へブル書は動物犠牲による赦しときよめを信じることができたなら、御子の死によるきよめを信じられるはずだと訴えています。きよめとは神様への信仰と信頼が純粋になることです。罪や汚れが含まれてない信仰を持つということです。神様が全能の力を示し、永遠の愛を人間に与えた決定打、それが御子の死によるきよめなのです。 神様はそこまでして、私たちを赦し、私たちの信仰心を純粋にしてくださったのです。確かに、イエス様は新しい契約によって私たちと神様とをつなぐ真の仲介者と言えます。私たちは汚れた生活から離れて、生きている真の神様に仕えて生きることができるようにされました。それがイエス・キリストに倣う人生です。すがすがしく爽やかにイエス様を仰ぎ見て生きて行きたいと思います。 祝福を祈ります。