今日の聖句1月19日(土)\(^o^)/ 万軍の主が立てられたことを、だれが破りえよう。御手が伸ばされた。だれがそれを戻しえよう。 イザヤ14:27 これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。 ローマ8:31 **************** 今週のテーマ:創造と救い きょうの聖書:へブル2:5-10 へブル人への手紙1章9節10節 御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。 「キリストの謙卑」 聖書全体がそうなのですが、特に、ヨハネの福音書とへブル人への手紙はイエス・キリストが創造者であり、同時に救い主である神様だと強く訴えています。イエス様は人間の罪を一身に背負って十字架で死ぬために生まれました。人としてのイエス様は誰よりも低くされたのです。 イエス様は、人として生きていた時期だけ天使よりも劣った立場にありました。しかし、十字架と復活を経て世界に救いをもたらしたイエス様は栄光に輝くお方として神様の御国に君臨しています。イエス様は昇天して元々の位に復帰されたのです。イエス様は主であり、万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。 圧倒的に多くの人たちがイエスは自分を神としたが殺されてしまったではないかと言います。しかし、神様はご自分の人々に対する愛を人々に届けるために御子イエス様を十字架へと導いたのです。イエス様は高い身分につくために生まれたわけではなかっのです。 このイエス様の謙卑によって私たちは救われ、神の子とされ、永遠のいのちを授かったのです。創造の神が私たちの救いのために地に下ったというこということがどういうことなのか考えさせられました。私たちがキリストの弟子として生きるためには、キリストの謙卑をよく理解し、私たちの生活の中でキリストの謙卑を模範にして生きる決心をする必要であると教えられました。 祝福を祈ります。