今日の聖句1月16日(水)\(^o^)/ 地の果てから果てまで、あなたの近くにいる、あるいはあなたから遠く離れている、あなたがたの回りの国々の民の神である。あなたは、そういう者に同意したり、耳を貸したりしてはならない。 申命記13:7-8 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。 ガラテヤ5:1 *************** 今週のテーマ:創造と救い きょうの聖書:コロサイ1:15-20 コロサイ人への手紙1章15節16節17節 御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。 「キリストの姿を知る」 この13節から23節の行(くだり)に、パウロによる「キリスト論」が書かれています。イエス・キリストこそ、主、救い主、神のすがた、創造主、保持者、教会のかしら、復活の主、和解させる方など、さまざまな姿が書き表されています。今日はここにキリストの姿をボールドして書いてみました。 キリストがどのような御方であるのかを知ることができた時、私達の心には大きな喜びがもたらされ、逆にキリストがどういう御方であるか分からなくなった時、私達は生き甲斐さえ失うものです。上に掲げた三節の中には特に造り主としてのキリストの姿が謳われています。 私達一人一人の存在の根元的理由もこの中にこめられているように思われます。キリストを知ることと自分が何者であるのかを知ることは意義深い事です。私たちにとって、キリストはどういう存在なのか、教会にとってキリストはどういう存在なのか、ここに書かれている内容がどういう意味なのかを考えると良い成長が期待できます。 キリストがどういうお方であるが私たちの心に鮮明になった状態を「恵まれている」といい、キリストのお姿を見失った時を「恵みを失った」といいます。ですから私たちは常に聖書に親しみ、聖書からキリストの姿を読み取りながら生きているわけです。神様は聖書によって私たちを恵んでくださるのです。 祝福を祈ります。