今日の聖句1月10日(木)\(^o^)/ 私たちの神の御手が私たちの上にあって、その道中、敵の手、待ち伏せする者の手から、私たちを救い出してくださった。 エズラ8:31 わたしは彼らに永遠のいのちを与えます。彼らは決して滅びることがなく、また、だれもわたしの手から彼らを奪い去るようなことはありません。 ヨハネ10:28 ***************** 今週のテーマ:新しい歌 きょうの聖書:詩篇98:1-6 詩篇98篇1節〜4節 新しい歌を主に歌え。主は、奇しいわざをなさった。その右の御手と、その聖なる御腕とが、主に勝利をもたらしたのだ。主は御救いを知らしめ、その義を国々の前に現された。主はイスラエルの家への恵みと真実を覚えておられる。地の果て果てまでもが、みな、われらの神の救いを見ている。全地よ。主に喜び叫べ。大声で叫び、喜び歌い、ほめ歌を歌え。 「御救いへの感謝と賛美」 詩篇は96篇から99篇まで同じようなよく似ているリズムで書かれています。バビロン捕囚から解放されてエルサレムに帰還できた喜びが感じられる詩です。ここで言われている勝利と救いは直接的にはバビロンからの帰還です。それは、ユダヤ人の内側にも、ユダヤ人の外部にも示された神様の栄えある御業だったのです。 右の御手、聖なる御腕とは、神様の正しいさばきという意味です。神様は姑息な手段には寄らず、だれの目にも明らかにされる正々堂々とした手段で神様の民を救い出してくださいました。神様は私たち異邦の罪深い者たちに対しても十字架と復活という最高の手段で救いを与えてくださいました。 サタンの反論を許可しない最高の手段です。サタンにキリストの救いを否定するスキを与えない神様の右の御手であり、聖なる御腕の力が発動でした。私たちも、もしかして、自分は救われてはいないのではなかろうかなどと迷う必要は全くないということです。 日曜日の礼拝に神様の栄光が現わされますようにという祈りが捧げられます。それは、イエス・キリストの十字架と復活による救いが現わされることであり、キリストの救いに対して大きな賛美が捧げられますようにという意味です。礼拝に集まる人たちから、イエス様の十字架と復活によって私は罪から救われましたという証が溢れますようにという祈りなのです。 祝福を祈ります。