今日の聖句12月11日(火)\(^o^)/ 天よ。喜び歌え。地よ。楽しめ。山々よ。喜びの歌声をあげよ。主がご自分の民を慰め、その悩める者をあわれまれるからだ。 イザヤ49:13 キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。 1コリント1:30 ***************** 今週のテーマ:いのちのみことば きょうの聖書:ヨハネ6:52-69 ヨハネの福音書6章54節55節56節 わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、永遠のいのちを持っています。わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。わたしの肉はまことの食物、わたしの血はまことの飲み物だからです。わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、わたしのうちにとどまり、わたしも彼のうちにとどまります。 「犠牲になるため」 「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者」とはなんと激しい言葉でしょう。ギクッとするような恐ろしさを感じます。これはイエス様の身代わりの死ついて言っているのです。「人の肉を食べる」というのは敵対的な残忍行為です。「人の血を飲む」というのも大変なことです。旧約聖書でも強く戒められていることです。 キリストの血を飲むとは、キリストの十字架の犠牲は私の罪のためだったと個人的に信じることであり、決して人間が人間の血を飲むことはありません。人間の血を飲むのは、必ず、剣、槍、あるいは弓の矢です。もしかすると野獣が飲むかもしれません。非常に残酷なむごたらしい死を表すのに使う表現です。 イエス様が「わたしの肉を食べ」と言われたのは、イエス・キリストとキリストのみことばを私たちの心に信じて受け入れることです。「永遠のいのちを持つ」と言われるのは、常にイエス・キリストの愛に包まれて生きることです。イエス様はご自分を犠牲にして私たち罪人を救うために天から下られた救い主なのです。 「肉を食べ」「血を飲み」「パンを食べる」とは単語そのものの意味ではなく、私たちがイエス様に連なることであり、イエス様を信じることです。事実、私たちの神様とイエス様への敵対がイエス様をこの残忍な死へ追い込んだのです。イエス様の死は私の罪の結果でした。クリスマスにはこれを思い出さなければならないのです。 祝福を祈ります。