今日の聖句11月13日(火)\(^o^)/ あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、また、あなたがたを鷲の翼に載せ、わたしのもとに連れて来たことを見た。 出エジプト19:4 どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に、教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。 エペソ3:20-21 ***************** 今週のテーマ:艱難との戦い きょうの聖書:2コリント1:3-7 コリント人への手紙第二1章3節4節5節 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。 「慰めの神」 この手紙の本論に入る前にパウロは、「豊かな慰めを与えてくださる神」について述べ、自分が受けている苦難と神の慰めのお陰で、他の苦しむ人たちを慰めることができるようにされているのだと感謝しています。パウロはこれらの苦難の経験と慰める行動とを「教会全体」の出来事として気付かせようとしています。 「私の」と言わず「私たちの」と言っていることでそれを推察することができます。キリストを知ることで、キリストのもたらす慰めを豊かに知ることができるようになるのです。それゆえ人に寄り添う心も育てられるようになるのです。3節から6節までに8回も「慰め」という言葉を書いています。 ヘブル4:15では、「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです」と言われています。神様の私たちへの慰めはキリストの十字架によって与えられています。 私たちの暮らしの中で「慰め」の言葉を捜すのが難しいときがあります。うっかりしたことを言えば、それは慰めではなく、叱責の言葉になってしまうことこともあります。それでも、キリストを通して慰めが届くことを信じて今日を生きて行こうと思います。私も苦しむ人を慰めることのできる者になりたいです。 祝福を祈ります。