今日の聖句11月12日(月)\(^o^)/ きょう、だれか、みずから進んでその手にあふれるほど、主にささげる者はないだろうか。 1歴代誌29:5 私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。 2コリント9:6 ******************** 今週のテーマ:患難との戦い きょうの聖書:ヨブ10:1-22 ヨブ記10章1節2節3節 私は自分のいのちをいとう。私は自分の不平をぶちまけ、私のたましいの苦しみを語ろう。私は神に言おう。「私を罪ある者となさらないように。なぜ私と争われるかを、知らせてください。あなたが人をしいたげ、御手のわざをさげすみ、悪者のはかりごとに光を添えることは良いことでしょうか。」 「脱出の道」 ヨブは、神様に祈っても解決の糸口も脱出の道も見つけることができなくなってしまいました。自分は正しい生き方をしてきたし、誰からもとやかく言われる理由はないと考えているからです。多くの人は、自分は正しいと考えることが問題の根本であることに気がつきません。自分は正しいと主張することほど滑稽なことはないのです。 次第にヨブは自己憐憫という感情に包まれるようになってきました。人はしばしば、不可解な苦痛に直面すると、傷みのせいで自分はかわいそうという感情へ引き込まれていきます。他の人に自分が受けているいわれのない苦痛を知ってもらいたいという気持ちです。さらに、自分という殻に閉じこもり、神様を責めたい気持ちにもなります。 どうして自分だけが不公平な苦しみを受けなければならないのか?という迷いに落ち込みます。しかし、パウロは「神は真実な方ですから、あなたがたを、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えてくださいます」(1コリント10:13)と教えています。 試練からの脱出の道とは、それが神様からの訓練だということに気づくことです。試練とはすべて信仰の成長と人格の訓練になるのだということです。そこに脱出の道があるのです。私たち日本人は、かわいい子には旅をさせろと言い、人格者を苦労人と呼んで尊敬します。成長と成熟は艱難を乗り越えた人に与えられるトロフィです。試練への勝利は他者への感謝と祝福で決定になります。 祝福を祈ります。