今日の聖句11月6日(火)\(^o^)/ 主よ。あなたは、あなたのなさったことで、私を喜ばせてくださいましたから、私は、あなたの御手のわざを、喜び歌います。 詩篇92:4 中風の人に、「あなたに命じる。起きなさい。寝床をたたんで、家に帰りなさい」と言われた。すると彼は、たちどころに人々の前で立ち上がり、寝ていた床をたたんで、神をあがめながら自分の家に帰った。 ルカ5:24-25 **************** 今週のテーマ:仕える きょうの聖書:ヨハネ13:1-11 ヨハネの福音書13章4節5節6節 夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。それから、たらいに水を入れ、弟子たちの足を洗って、腰にまとっておられる手ぬぐいで、ふき始められた。こうして、イエスはシモン・ペテロのところに来られた。ペテロはイエスに言った。「主よ。あなたが、私の足を洗ってくださるのですか。」 「足を洗うこと」 有名な最後の晩餐の中でのイエス様の洗足物語です。最後の晩餐は聖餐式と直結しています。聖餐式は私たちにイエス・キリストの十字架の死と復活によるたましいの贖いを教える儀式です。この洗足物語はイエス様が弟子たちの足を洗うという演技によって、罪の赦しとたましいのきよめを教えています。足を洗うことは罪の生活からの決別を意味します。 この洗足物語の教訓の第一は、イエス様の十字架の死によるたましいの贖いの効果は客観的であるということです。ペテロの例にあるように意味が分かっていても、いなくても、イエス様の一方的な贖いの御業です。イエス様が救い主としての権威をもって為し遂げてくださった事実なのです。 教訓の第二は、ここに示された、イエス様によるたましいの贖い、きよめの御業は私たちが天の御国へ入るために必要であり、極めて重要な不可欠なものです。「もしわたしが洗わなければ、あなたはわたしと何の関係もありません」(8節) と言われるほど、洗われなければイエス様との関係が生まれず。天の御国に無関係なのです。 教訓の第三は、イエス様による贖いは十分であり、完全であるということです。「水浴した者は、足以外は洗う必要がありません。全身きよいのです」と(10節)で教えられています。イエス様はただ1回の十字架の死で全人類の全ての罪を赦したのです。あっちもこっちもとか、あの罪もこの罪もということはないのです。信じる前に犯した罪も、クリスチャンになった後に犯すかも知れない未の罪も全部赦されているのです。 祝福を祈ります。