今日の聖句1月5日(月)\(^o^)/ 私は、進んでささげるささげ物をもって、あなたにいけにえをささげます。主よ。いつくしみ深いあなたの御名に、感謝します。 詩篇54:6 私たちの主イエス・キリストの父なる神、慈愛の父、すべての慰めの神がほめたたえられますように。 2コリント1:3 **************** 今週のテーマ:仕える きょうの聖書:マタイ25:31-46 マタイの福音書25章34節35節36節 王は、その右にいる者たちに言います。『さあ、わたしの父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を継ぎなさい。あなたがたは、わたしが空腹であったとき、わたしに食べる物を与え、わたしが渇いていたとき、わたしに飲ませ、わたしが旅人であったとき、わたしに宿を貸し、わたしが裸のとき、わたしに着る物を与え、わたしが病気をしたとき、わたしを見舞い、わたしが牢にいたとき、わたしをたずねてくれたからです。』 「支援的な愛の奉仕」 これは、支援的な愛の奉仕を教えたイエス様の譬え話です。キリストの再臨に備えて目覚めている人の特徴は「愛の奉仕」です。羊飼いが羊と山羊を選り分けるように、真のクリスチャンと偽クリスチャンが選り分けられる日が来ることをイエス様が教えているのです。そして、「神の国を継ぐ」という判決を下す証拠になることがらです。 イエス・キリストの十字架の死と復活によって救われた「救いの喜び」から、支援的に生き、知らず知らずのうちに教会の兄弟姉妹に対し、或いは、様々な隣人や知り合いに対して、支援の手、ケアの手を差し伸べていることが、一死をもって私たちを救って下さったイエス・キリストへの信仰の具体的現れになるのです。イエス様は「最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」25:40と言われました。 愛の奉仕は水や食べ物、宿所や衣類の提供に始まり病気見舞いや刑務所への訪問と共に、相手の霊的成長に仕えていくことに続いていきます。問題や課題を共有し、解決の課程を共有し、ともに喜び、ともに悲しむ感情を共有して生きていくことで実践できることです。何事も他人事と思わず、我が事として対処することです。 イエス様は人間の問題である「罪」を他人事とせず、我が事として受け止めて御自分でその重荷を引き受けて下さいました。そのイエス様に倣って生きていくことこそ神の御国の相続権の確保になるのです。口先だけであったり、形式だけであったりでは命を投げ出して下さったイエス様に申し訳が立ちません。キリストと愛の十字架を共有する真のクリスチャンとして生きていきましょう。 祝福を祈ります。