今日の聖句11月3日(土)\(^o^)/ たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。あなたが私とともにおられますから。あなたのむちとあなたの杖、それが私の慰めです。 詩篇23:4 それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。 2コリント1:5 **************** 今週のテーマ:死に打ち勝つ きょうの聖書:ローマ14:7-12 ローマ人への手紙14章7節8節9節 私たちの中でだれひとりとして、自分のために生きている者はなく、また自分のために死ぬ者もありません。もし生きるなら、主のために生き、もし死ぬなら、主のために死ぬのです。ですから、生きるにしても、死ぬにしても、私たちは主のものです。キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。 「キリストのため」 クリスチャンにとって、最も基本的な考えて方のひとつは、「キリストが私のために死んでくださったので、古い自分はキリストと一緒に死に、キリストがよみがえってくださったので、私たちもそのいのちに生かされています」というものです。このような気持ちで生きられることは本当に幸いなことです。 つまり、自分自身だけのために生きるとか、自分自身だけのために死ぬという発想はもはや成り立たなくなっているのです。私たちのいのちと存在は、キリストに属しているのです。自分で生きているわけではありません。生かされているだけのことです。 キリストが命を代価に私たちをサタンの手から買い取ってご自分の所有にしたのです。ここに「救い」があり、これが「潔め」と呼ばれる神様の恵の賜物なのです。自分のために生きている人は、しばしば、損得勘定が生活の表に出てきます。しかし、キリストのために生きる人は御名が崇められることに最も大きな価値をおいているのです。 この事実をしっかり認識して、キリストの主権の下に生きること、私はキリストにいのちを託され、預けられて生きているのだと断定すること、そこから他人への見方が変わってきます。自分への見方も変わってきます。そこに確実な死に打ち勝つ勝利の信仰で生活があるのです。 祝福を祈ります。