今日の聖句10月27日(土)\(^o^)/ ほかの神々に従い、それに仕え、それを拝んではならない。あなたがたが手で造った物によって、わたしの怒りを引き起こしてはならない。 エレミヤ25:6 信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 ヘブル12:2 ***************** 今週のテーマ:逆境にあって きょうの聖書:1ペテロ5:6-11 ペテロの手紙第一6章6節7節 あなたがたは、神の力強い御手の下にへりくだりなさい。神が、ちょうど良い時に、あなたがたを高くしてくださるためです。あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。 「謙遜と信頼」 試練や苦悩に陥った場合、「なぜ私がこんな目に合わなければならないのか」という気持ちになります。何故?なぜ?どうしてよ?という思い煩いに引き込まれてしまうのです。しかし、その試練や苦悩にはこういう意味があったのかと、自分が受けた試練の意味が理解できると私たちの心は解放されていきます。 多くの場合、この試練は神様が私に謙遜と信頼を学ばせるための特別授業だったのだと気が付くと、良い学びの時が与えられたのだと感謝することもできるようになるのです。出エジプトの長い旅はイスラエルにとっては過酷な試練でもありましたが、神様の教育期間が終わったときにイスラエルは国家を築けたという前例があります。 神様は創造者として全世界と全宇宙に対して所有権と支配権、決定権を保持しています。私たちが傲慢不遜にも神様の主権を侵害して神様の決定に反抗すると迷いの世界に落ち込んでいきます。それで、何故だ、何故だとなるわけですが、神様の主権の下に謙り、神様のご決定を信頼して受け入れるようになると、私たちは神様が私たちに対して行っていてくださることに大きな感謝をすることができるようになるのです。 ペテロはローマ教会の土台になった人ですが、最後には逮捕されて殉教しました。十字架刑が言い渡されたときペテロは自分から進んで頭を下にする逆さ磔(はりつけ)の刑を受けたそうです。自分に与えられた「死」を謙遜と信頼を学び、キリストに準ずるものになれるという意味をよく理解できていたからだと思います。 祝福を祈ります。