今日のの聖句10月19日(金)\(^o^)/ ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。 創世記6:9 あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。 マタイ5:16 **************** 今週のテーマ:とりなしの祈り きょうの聖書:エレミヤ10:17-25 エレミヤ書10章23節24節25節 主よ。私は知っています。人間の道は、その人によるのでなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。主よ。御怒りによらず、ただ公義によって、私を懲らしてください。そうでないと、私は無に帰してしまうでしょう。あなたを知らない諸国の民の上に、あなたの御名を呼ばない諸氏族の上に、あなたの憤りを注いでください。彼らはヤコブを食らい、これを食らって、これを絶滅させ、その住まいを荒らしたからです。 「中心は神様」 これは予言者エレミヤがバビロニヤによるエルサレム攻撃を察知して、国民を代表して神様に祈った言葉です。エレミヤは人の一生というものは自分の考えた通りには進まないことを知っていると言って居ます。偉人伝などを読んでみても、自分の思い通りに生きた人は一人もいません。 エレミヤ当時のエルサレムは政治も宗教も堕落していました。神様の怒りを被るのは当然だと考えています。エレミヤは神様に怒りによって滅ぼすのではなく、エルサレムが再起できるように公義によって懲らしめてくださいと祈りました。ネブカデネザルを神様から遣わされたものとして暗に受け止めるということです。 エルサレムが堕落したのは王家をはじめ政治家も行政官も祭司や宗教家も神様を求めて祈らなかったことが原因です。エレミヤにはそれが手に取るようによくわかっていたのです。エレミヤには、エルサレムは滅亡して、初めの一歩から出直さなければならないことが分かっていたのです。 国家や社会が繁栄していくためにはそれぞれのリーダーが神様の前に謙遜になって神様の導きを求めていかなければなりません。キリスト教会でも牧師と信者が一つになって「御心が天で行われるように地でも行われますように」と神様を求めて祈ることが不可欠です。人間ではなく神様が中心でなければならないということです。 祝福を祈ります。