今日の聖句10月16日(火)\(^o^)/ 正義と公義を行うことは、いけにえにまさって主に喜ばれる。 箴言21:3 うわべによって人をさばかないで、正しいさばきをしなさい。 ヨハネ7:24 ***************** 今週のテーマ:とりなしの祈り きょうの聖書:ローマ8:26-28 ローマ人への手紙8章26節27節 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。 「御霊のとりなし」 私たち弱い者のために私たちに内住する御霊様が深い呻き(うめき)と共に祈ってくださるのだと言われています。弱い者とは、自立できないもの、自助力のない者、祈れないもの、もがき苦しむものたちすべてです。それは、御霊様が私たちの心の中を知り尽くしていてくださるからだと説明されています。 私たちが祈りの言葉に行き詰まってしまうときにも、御霊様は私たちと共にいて私たちのために代わって祈り続けていてくださいます。この代理の祈りがとりなしです。御霊様が私たちの祈りを助けてくださるので、私たちは恐れも不安もなく神様の御前に出て祈ることができるのです。 私たちクリスチャンも祈れない人々に代わってとりなしの祈りを捧げます。東日本大震災のときに、被災した人たちに最も喜ばれたのは、祈ることを知らないそれらの多くの人たちのためにひざ詰めでとりなし祈った人たちの存在でした。私たちは自分の祈りがはなはだしく未熟であることを知りつつも、御霊様のとりなしを信じるために他の人のためにも祈れるのです。 私たちの心の救い、私たちの心の安らぎは永遠の愛を注ぎつつ、私たちのために祈ってくれている聖霊様がおられるということによります。もし、自分の祈りが神様に通じないかもしれないとなったら恐れと不安に包まれてしまいますが、私たちがどんなに「ヘボ」な祈りをしても御霊様が神様に通訳して取り次いでくださるので絶対い大丈夫なのです。祈りには上手とか下手はありません。 祝福を祈ります。