今日の聖句10月13日(土)\(^o^)/ さあ、主に向かって、喜び歌おう。われらの救いの岩に向かって、喜び叫ぼう。感謝の歌をもって、御前に進み行き、賛美の歌をもって、主に喜び叫ぼう。 詩篇95:1-2 忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。 ローマ15:5-6 ***************** 今週のテーマ:主にあって一つとなる きょうの聖書:ゼパニヤ3:8-10 ゼパニヤ書3章9節10節 わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える。クシュの川の向こうから、わたしに願い事をする者、わたしに散らされた者たちが贈り物を持って来る。 「待つこと」 キリストの到来によって創造主への信仰が世界に拡大し、選民と異邦人の区別なく礼拝が捧げられるようになるという予言です。これは、イエス・キリストの十字架と復活によって既に実現しています。さらに、終末のキリストの再臨によって世界は完全に一つにされると言われています。 それは、再臨によって罪悪が滅ぼし尽くされるからです。待ち望まれていた通りに初降臨のキリストは到来しました。それは再臨の約束も必ず実現されることを保証しています。あわせて、聖書の約束を信じて待つ人たちに恵みとして一致が与えられます。「待つ」ことができる人々に一致と協力が与えられるのです。 その昔の日本の社会に「おあずけ」という躾(しつけ)がありました。この「おあずけ」は今では犬のしつけだけになってしまったのでしょうか。一定の時が来るまで自分の欲望の実現を待てる人は立派な人生を送れています。人生で他の人との一致と協力体制を築くことができるからです。 私たちは再臨信仰の中で神様から人格教育を受け「待つ力」を養われています。私、濱野好邦は待てない人の代表のようなものですが、改めて、終末に目を向け、キリストの再臨の約束を信じて待つものとされていきたいと思います。そして、一つになって主に仕える教会の一員として生かしていただきたいと思います。 祝福を祈ります。