今日の聖句10月9日(火)\(^o^)/ 私はいつも、私の前に主を置いた。主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。 詩篇16:8 信仰によって、彼は、王の怒りを恐れないで、エジプトを立ち去りました。目に見えない方を見るようにして、忍び通したからです。 ヘブル11:27 ***************** 今週のテーマ:主にあって一つとなる きょうの聖書:1コリント1:10-15 コリント人への手紙第一1章10節〜12節 兄弟たち。私は、私たちの主イエス・キリストの御名によって、あなたがたにお願いします。どうか、みなが一致して、仲間割れすることなく、同じ心同じ判断を完全に保ってください。実はあなたがたのことをクロエの家の者から知らされました。兄弟たち。あなたがたの間には争いがあるそうで、あなたがたはめいめいに、「私はパウロにつく。」「私はアポロに。」「私はケパに。」「私はキリストにつく。」と言っているということです。 「派閥」 コリントの教会の中には4つの派があって、それぞれ相手を見下していたようです。パウロ派、アポロ派、ケパ(ペテロ)派、そしてキリスト派の4派です。キリスト派とは、いわゆる使徒的な教えを排除し、キリストとの直接的、神秘的な関わりを強調するグループだったようです。 教会の中で指導者に対する相性というのは人間ですからある程度やむをえないことかもしれません。ただ、それが、その指導者とその指導者を尊敬している人たちへの非難や排斥にならないようにとパウロは訴えているのです。勝手なことを言わず、仲たがいせず、心をひとつにするようにと呼びかけています。 そのために、十字架と洗礼のなかに見られる「キリストの愛」と「キリストへの愛」をもって互いに親しむようにと訴えているのです。パウロが十字架についたわけではないし、パウロに属するために洗礼を受けたわけではないのだから「指導者いのち」という関わりを持ってはならないのだとパウロは「パウロ派」と称していた人たちを例にあげて戒めています。 パウロを通して語られたイエス・キリストに結びつき、ペテロが教えたイエス・キリストに結びつくのです。とはいえ、その教えをもたらした指導者への尊敬は良いことなのですが、その指導者の権威とイエス・キリストの権威を同等のものにしてはならないのです。指導者に対し「兄弟としての尊敬」があれば、それで十分です。 祝福を祈ります。