今日の聖句10月7日日曜日\(^o^)/ それでも、わたしはエフライムに歩くことを教え、彼らを腕に抱いた。しかし、彼らはわたしがいやしたのを知らなかった。 ホセヤ11:3 私たちの主の忍耐は救いであると考えなさい。 2ペテロ3:15 ***************** 今週のテーマ:主にあって一つとなる きょうの聖書:マタイ18:18-20 マタイの福音書18章19節20節 まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。 「祈りと一致」 一人で祈るのも良いが二人で祈ることはもっと良いし、たとえ三人でも心を一つにして祈る祈りはイエス様に喜ばれます。クリスチャンが一つのテーマで心を合わせて祈るならばその願いはイエス様の願いと一致するからです。そのような祈りの輪の中には神様が聖霊として臨在してくださるのです。 何千何万の人がうわべだけで一つになるよりも、たとえ二・三人でも一つの心で一致して祈るならば、はるかに大きな効果を発揮できます。自己中心的な願望が披歴されるのではなく、聖霊の願いが祈られ、そこに神様の恵みが注がれるからです。聖書に「愛」という言葉は595回使われ、「一つ」という言葉は599回用いられています。愛と一つはほぼ同程度に重要なこととして扱われているのです。 聖協団では伝統的に、礼拝の中での祈りの輪や、家庭集会の中などで祈る時に、この「ふたりでも三人でも」というみことばが引用されます。どれほど小さくても祈りの輪というものは信仰生活の中では欠くことのできない大事なものなのです。「祈ろうよ」という祈りの誘いは隣人には大きな励ましにもなります。 一緒に祈ることによって私たちの絆はますます固く強いものになっていきます。祈りが一致を加速させるからです。一致とは、料理のときに具材を同じ大きさに切りそろえることに似ています。人参も玉ねぎもジャガイモもサイズがそろうとカレーも旨くなるみみたいです。教会は一緒に祈ることによって一致していくのです。 祝福を祈ります。