今日の聖句10月4日(木)\(^o^)/ あなたがたのうちに、毒草や、苦よもぎを生ずる根があってはならない。 申命記29:18 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。 エペソ4:31 ***************** 今週のテーマ:主人としもべ きょうの聖書:1コリント7:20-24 コリント人への手紙第一7章22節23節24節 奴隷の状態で召されたのなら、それを気にしてはいけません。しかし、もし自由の身になれるなら、むしろ自由になりなさい。奴隷も、主にあって召された者は、主に属する自由人であり、同じように、自由人も、召された者はキリストに属する奴隷だからです。あなたがたは、代価をもって買われたのです。人間の奴隷となってはいけません。 「幸せの条件」 パウロは、自分はキリストの再臨の直前である終末を生きていると考えています。そのために「自分が召されたときの状態にとどまっていなさい」と命じているのです。パウロはそれを25節で「現在の危急のときに」という言葉で表しています。クリスチャンとして生きることも、再臨の主を迎えることにも、自由人であるか奴隷の身であるかは無関係なのです。 再臨の主を迎えるためには、結婚することも、自由人になることも、そのほかのどのような環境にいることも変える必要がないのです。キリストを信じた時のままの状態で再臨のキリストを迎えることか一番良いのだと言っているわけです。それが人間の奴隷としてではなく、クリスチャンとしての姿勢だと教えています。 何より大事なことは、たとえ奴隷の立場であったとしても、罪の力から解放されていることです。人間は誰でも、自分の人生をキリストにゆだねる前は罪の奴隷なのです。キリストへの信仰だけが罪の力を克服する力になります。何時でも罪を赦されたときの新鮮な喜びを維持していることが大事です。 多くの人は金持ちになれば幸福になれる、結婚すれば幸せになれる、病気が治れば幸せになれる、ひどい場合は誰それがいなくなれは、などと考えるかもしれませんが、幸せの条件はキリストから罪の赦しを得、キリストと共に生きることなのです。生活環境の変化ではありません。今のままでいいのです。 祝福を祈ります。