今日の聖句10月2日(火)\(^o^)/ 人が自分の敵を見つけたとき、無事にその敵を去らせるであろうか。あなたがきょう、私にしてくれた事の報いとして、主があなたに幸いを与えられるように。 1サムエル24:19 あなたを告訴する者とは、あなたが彼といっしょに途中にある間に早く仲良くなりなさい。 マタイ5:25 ***************** 今週のテーマ:主人としもべ きょうの聖書:ピレモン1:8-20 ピレモンへの手紙1章15節16節17節 彼がしばらくの間あなたから離されたのは、たぶん、あなたが彼を永久に取り戻すためであったのでしょう。もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、すなわち、愛する兄弟としてです。特に私にとってそうですが、あなたにとってはなおさらのこと、肉においても主にあっても、そうではありませんか。ですから、もしあなたが私を親しい友と思うなら、私を迎えるように彼を迎えてやってください。 「神の愛は平等」 この手紙はパウロがローマの獄中からコロサイ教会の有力信者であるピレモンに宛てて書いた個人的な手紙です。内容は、ピレモンが所有していた奴隷のオネシモがピレモンのお金を盗んでローマに逃亡したのですが、オネシモはローマでパウロによって救いに導かれたので、オネシモを赦して信仰における兄弟として受け入れるようにピレモンに頼んでいるというものです。 パウロは奴隷制度を非難することも、大目に見ることもしませんでした。パウロは人間関係を良い方向へ変えることに力を尽くしました。そもそも福音とは和解の提供です。そして、社会構造の中にいる人々の心と気持ちを切り替えて、社会の構造を変革させる働きがあります。 「私を迎えるように彼を迎えてやってください」とは、驚くべき爆弾発言のように感じられます。逃亡奴隷をキリスト教の第一人者と等しく扱ってくださいという意味ですから。確かに、キリストはオネシモもピレモンもパウロも、私たちさえも等しく神の子として扱ってくださいます。 オネシモも神の家族の一員として認められました。キリストの愛と恵を受けるのに欠格者とされる人は一人もいません。神の家族の一員というクリスチャンの身分はは教会内でのすべての区別と障壁を乗り越えて余りあるものです。神の愛は平等です、お互いに尊敬し合い、見下したりすることのないようにしていきたいと思います。 祝福を祈ります。