今日の聖句9月21日(金)\(^o^)/ 神である主は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。 創世記2:15 柔和な者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。 マタイ5:5 ***************** 今週のテーマ:親と子 きょうの聖書:へブル11:17-19 へブル人への手紙11章17節18節19節 信仰によって、アブラハムは、試みられたときイサクをささげました。彼は約束を与えられていましたが、自分のただひとりの子をささげたのです。神はアブラハムに対して、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」と言われたのですが、彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。 「アブラハムとイサク」 神様は、アブラハムがどこまで神様に従うかを見定めようとして、アブラハムにイサクをいけにえにしなさいと命じました。アブラハムには、アブラハムの子孫が海の砂のように、空の星のように増えるという約束を与えられていましたが、一人息子のイサクをあきらめる決心をしたのです。とても大きな決断です。 へブル書の著者は、アブラハムは神様は死者を復活させる力があると信じたからその決断ができたのだと説明しています。そして最後に「これは型です」と付け加えています。この出来事は、神様が御ひとり子のイエス様を犠牲にすることの型だというのです。 自分の子どもを死なせてしまった人の悲しみと苦しみは経験しない人には想像もできないほど大きいものだと思います。神様は聖書の読者に、神様がとてつもなく大きな苦しみとなる大事なひとり子を犠牲にしてまで世界を救うという計画を持っているということを予告しているわけです。 私たちは自分の親と自分の関係、そして、自分と自分の子との関係というものをじっくり考えてみることが求められているのかもしれません。親がどれだけ自分のために犠牲を払ってくれたのか、自分はどれだけ子供のために祈っているのか、アブラハムのイサクへの祈りには遠く及びませんが私も子と孫のために祈りを重ねていこうと思います。 祝福を祈ります。