今日の聖句9月20日(木)\(^o^)/ 神は私のたましいをよみの手から買い戻される。神が私を受け入れてくださるからだ。 詩篇49:15 キリストは死を滅ぼし、福音によって、いのちと不滅を明らかに示されました。 2テモテ1:10 **************** 今週のテーマ:親と子 きょうの聖書:2サムエル18:24-33 王はクシュ人に言った。「若者アブシャロムは無事か。」クシュ人は答えた。「王さまの敵、あなたに立ち向かって害を加えようとする者はすべて、あの若者のようになりますように。」すると王は身震いして、門の屋上に上り、そこで泣いた。彼は泣きながら、こう言い続けた。「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」 「父の涙」 きょうの聖書は反乱を起こしたアブシャロム軍が敗退した後、ヨルダン川東岸のマハナイムで軍を再編したダビデに戦況を報告したクシュ(エチオピヤ)人の伝令とダビデのやり取りです。この伝令はアブシャロムが戦死したことを誇らしげに報告しましたが、ダビデは身震いして屋上に上り激しく泣いたのです。 ダビデの「わが子アブシャロム。わが子よ。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。アブシャロム。わが子よ。わが子よ。」という言葉にはダビデのアブシャロムに対する愛と、愛する息子を失った悲しみがありありと現されています。 自分の子どもをなぶり殺しにする父親も母親もいますが、大多数の親は子や孫が無念の死に見舞われたときに、「私がお前に代わって死ねばよかったのに」と思うことでしょう。ダビデは反乱という大罪を犯した息子に対しても、その命を惜しんだのです。ダビデはキリストの模型のような人物でした。 私たちもキリストに対して、繰り返し背いて罪を犯し続けましたが、イエス様は私が死ねばよかったというだけでなく、現実に私たちの罪を一身に引き受けて十字架で死んでくださいました。十字架には神様に背いた者の罪を赦して救う力と永遠の愛が現わされているのです。 祝福を祈ります。