今日の聖句9月15日(土)\(^o^)/ 麗しさの窮み、シオンから、神は光を放たれた。われらの神は来て、黙ってはおられない。 詩篇50:2-3 神は、むかし父祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。 へブル1:1-2 **************** 今週のテーマ:主の神殿 きょうの聖書:1コリント3:10-17 コリント人への手紙第一3章16節17節 あなたがたは神の神殿であり、神の御霊があなたがたに宿っておられることを知らないのですか。もし、だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたがその神殿です。 「神殿と礼拝」 パウロはキリストを土台にして建てられた群れ、キリストを信頼している個人、そのどちらも「神の神殿」であると理解しています。聖霊が内に住んでおられるからです。教会というクリスチャンの群れは「神の住まわれる神殿」であり、そこにつながるひとりひとりが神殿でもあります。 「だれかが神の神殿をこわすなら、神がその人を滅ぼされます」とパウロは書きましたが、自らの昔の行状を思い出しながら書いていたとすれば胸の内に哀しみを感じていただろうなと思います。パウロは以前、教会を迫害する人たちの代表格だったからです。 ところで神殿の最重要課題は「神様への礼拝」です。教会が神殿として機能するのは礼拝によってです。そこには赦しの宣言があり、献金があり、祈りがあり、賛美があり、み言葉の朗読がありました。私は充実した個人ディボーションをもって、日々、礼拝していきたいです。 ヨーロッパにおける聖堂建築の荘厳さ、何百年も掛けた建築物としての教会堂は、聖とされた人たちの集まる場所、神の臨在の場所としての意識の中から生まれたものだと思います。献堂式というのもありますが、私たちは自分を礼拝者として献身するものでありたいと思います。 祝福を祈ります。