今日の聖句8月3日(金)\(^o^)/ あなたの神、主は、あなたのために、のろいを祝福に変えられた。あなたの神、主は、あなたを愛しておられるからである。 申命記23:5 私たちは真実でなくても、彼は常に真実である。彼にはご自身を否むことができないからである。 2テモテ2:13 ***************** 今週のテーマ:解放の福音 きょうの聖書:イザヤ61:1-3 イザヤ書61章1節2節3節 神である主の霊が、わたしの上にある。主はわたしに油をそそぎ、貧しい者に良い知らせを伝え、心の傷ついた者をいやすために、わたしを遣わされた。捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、すべての悲しむ者を慰め、シオンの悲しむ者たちに、灰の代わりに頭の飾りを、悲しみの代わりに喜びの油を、憂いの心の代わりに賛美の外套を着けさせるためである。 「律法主義からの解放」 この1節と2節のみことばはイエス様がヨルダン川でバプテスマのヨハネから洗礼を受けて聖霊の注ぎを受け、荒野での誘惑に打ち勝った後、出身地のナザレの会堂で安息日に朗読した聖書として有名です。イエス様はご自分が昔から予言者によって予告され救い主として現れたのです。 イエス様の解放の第一義はユダヤの国の人々をユダヤ教の律法主義から解放するということでした。ユダヤ教には律法を守った人が死後に天国に行けるという教えがありました。しかし、律法主義は完全でなければならないのに完全に律法を行える人は存在しないので誰も救われないのです。 律法主義が救いを求める人たちに絶望だけを与えていたのでイエス様は十字架の死と復活をもって、救いをもとめる多くの人々に信じるだけで救われる究極の道を開いたのです。パウロはこのことをローマ3:24で「神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」と言い。 同じく3:28では「人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです」と解説しています。律法主義ではなくても律法主義的な考え方は世界中に満ちています。私たちもイエス様への「ただ信じる」という純粋な信仰によって救われているのです。 祝福を祈ります。