今日の聖句7月4日(水)\(^o^)/ わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。 詩篇103:1 イエスがすでにオリーブ山のふもとに近づかれたとき、弟子たちの群れはみな、自分たちの見たすべての力あるわざのことで、喜んで大声に神を賛美し始めた。 ルカ19:37 **************** 今週のテーマ:神の前に立つ個人 きょうの聖書:エゼキエル18:1-20 エゼキエル書18章20節 罪を犯した者は、その者が死に、子は父の咎について負いめがなく、父も子の咎について負いめがない。正しい者の義はその者に帰し、悪者の悪はその者に帰する。 「自分の責任」 この現場はバビロンです。エゼキエルは捕囚前はエルサレムで祭司でしたが、バビロンでは捕囚民を指導する預言者として立てられました。捕囚民は、バビロン捕囚という罰は先祖の罪の結果であり、自分たちには罪はない、悪いのは先祖だと言って悔い改めを求めるエゼキエルの言葉に耳を貸しませんでした。 また一方では、自分の先祖は神様を愛して罪を犯さなかったので、自分に罰が下るはずがないと考えていた者たちがいました。その根拠は十戒の第二戒にある「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。 すべての責任を親と先祖に擦り付けて自分は正しいと主張する姿勢は無責任のそしりを免れません。そこでエゼキエルは、人は自分の犯した罪の責任は自分で負わなければならないという神様からの新しい方針を与えたのです。神様は一人一人の個人をお裁きになられるのです。 アブラハムの子孫だからというう理由で永遠の救いが保証されるということもありません。親の悪行や善行が子孫に影響しないということはないでしょうが、私たちは自分の人生は自分で責任を持つということは当然のことです。今現在をどう生きるか、この瞬間を正しく生きていくことが大事です。 祝福を祈ります。