今日の聖句7月1日(日)\(^o^)/ 実に、わたしは怒って、あなたを打ったが、恵みをもって、あなたをあわれんだ。 イザヤ60:10 あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現れのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。 1ペテロ1:13 **************** 今週のテーマ:神の前に立つ人 きょうの聖書:創世記3:1-21 創世記3章6節7節 女が見ると、その木は、まことに食べるのに良く、目に慕わしく、賢くするというその木はいかにも好ましかった。それで女はその実を取って食べ、いっしょにいた夫にも与えたので、夫も食べた。このようにして、ふたりの目は開かれ、それで彼らは自分たちが裸であることを知った。そこで、彼らは、いちじくの葉をつづり合わせて、自分たちの腰のおおいを作った。 「善悪の判断」 創世記にはすべてのものごとの始まりが書かれています。そして、この3章には罪の始まりと、神様の裁きの始まりが明記されています。この場面の登場者は神様とサタンと人です。聖書の物語は御父と御子と御霊の関係に始まり、三者の関わりによって展開されています。私たちは神様との良い関係の中で生きなければならないのです。 聖書は神様とイスラエルと異邦人、キリストと教会と世界、神様と自分と隣人というように三者の関係を考えさせます。罪というものは良い関係を崩すことだとも言えます。神様は人との良好な関係を維持するために知識の木から実を取って食べることを禁じましたが、アダムとエバはサタンに騙されて神様の命令に背き、神様との関係を断絶させてしまったのです。 善悪を知る知識の木とは、善悪の判断を下すことです。知識の木からその実を取って食べるとは、判断を下すのにみことばの権威を否定してこれに頼らず、自分の気持ちで善悪を決めてしまうということです。神様は知識の木から実を取って食べるなと命じましたが、エバが見るとおいしそうだったので食べてしまったということです。善悪の判断はみことばによって決しなければならないのです。 神様のみことばに守られていたアダムとエバでしたが、一度みことばを否定してしまうと自分が全く無防備であることがわかります。それで、イチジクの葉をつづり合わせて自分の腰の覆いを作ったわけです。神様は動物を犠牲にして人のために覆いを作って着せ、エデンの園から追放しいました。罪の赦しのためには犠牲が必要であることが暗示されています。 祝福を祈ります。