今日の聖句6月29日(金)\(^o^)/ わたしが、あなたの行ったすべての事について、あなたを赦すとき、あなたがこれを思い出して、恥を見、自分の恥のためにもう口出ししないためである。 エゼキエル16:63 「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来られた」ということばは、まことであり、そのまま受け入れるに値するものです。私はその罪人のかしらです。 1テモテ1:15 **************** 今週のテーマ:信徒の交わり きょうの聖書:1テサロニケ3:1-10 テサロニケ人への手紙第一36節7節 今テモテがあなたがたのところから私たちのもとに帰って来て、あなたがたの信仰と愛について良い知らせをもたらしてくれました。また、あなたがたが、いつも私たちのことを親切に考えていて、私たちがあなたがたに会いたいと思うように、あなたがたも、しきりに私たちに会いたがっていることを、知らせてくれました。このようなわけで、兄弟たち。私たちはあらゆる苦しみと患難のうちにも、あなたがたのことでは、その信仰によって、慰めを受けました。 「互いに大事な存在」 パウロがどれほどテサロニケの地域に住むクリスチャンたちのことを心に留めているかわかる内容の文章です。テモテを派遣した理由、テモテからの報告、そしてパウロの喜びが手に取るようにわかります。6節の「親切」という言葉は新共同訳では「好意」となっています。お互いに大事な存在として認め合う姿は美しいものです。 このように、伝道者パウロが牧会者としての心を痛々しいほど表明しています。その地域で不思議にも集められた主の民、ひとりひとりに対して持っている「主に留まっていて欲しい」「いつかまた会って福音を分かち合いたい」という願いはまさに牧師としての心からの願いです。 テサロニケの人たちにとって「パウロは大事な人である」という確認はパウロの心を燃やしています。パウロにとって大事な存在であるテサロニケの人たちから、そういう反応があったことはパウロにとっては本当に大きな喜びだったと思います。 誰でも自分の存在を受け入れられ、互いに大事な存在として認め合うことができたら、共通の喜びが生まれます。それは今も昔も変わりません。このメールを読んでくださる読者の皆様の存在は私にとってはとても大切です。読んでもらえるので書き続けることができるからです。 祝福を祈ります。